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2015年8月31日 | 台湾
台湾サッカーの育成に、日本高校サッカー界の名将とATHLETAがタッグを組んだ。
2015年6月27日、28日に台湾新竹県にて行われた「ATHLETA杯 第1届菁英計劃對抗賽」を、現地からリポートする。
>>台湾にサッカーを!高校サッカー界の名将とATHLETAの挑戦(1/3)を読む
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大会はU-10(10歳以下)の部とU-12(12歳以下)の部に分かれ、2日間かけて行われた。
会場である新竹県体育場のピッチは綺麗に刈り揃えられた天然芝だった。日本では天然芝またはそれに近い人工芝ピッチなどの練習環境が整いつつあるが、台湾にとってはこのような環境での練習、試合は極めて珍しい。
アスレタから提供されたユニフォームは、整備されたピッチと相まって「場所とユニフォームのおかげで上手く見える」と関係者を唸らせた。普段はユニフォームの上着をようやく揃えられるというクラブが多いなか、否が応にも選手のモチベーションが上がっているように映った。
特にU-12の決勝戦、台中 対 台北の試合は見ごたえがあった。数人の選手は170cmにも届きそうな大柄な体格もさることながら、次の展開を踏まえたトラップ、安定したキープ、明確な意図のあるパスが随所に見られた。関係者によれば「台湾でこのレベルの試合は珍しい」「この水準でようやく戦術が成立する」とのことだ。
当然ながら、色々問題点も少なくはなかった。
地域から選抜されたものの、特にU-10のチームからはいわゆる「団子サッカー」が多く見受けられた。守備の組織、技術の未熟さは勿論のこと、攻撃でもルックアップのないドリブル、場当たり的かつ偶発的なパスが目立った。関係者によれば、サッカーを始める年代が日本より遅いため、このような状況になっているとのことだ。
そして両年代を通してGKがあまり育っていない印象を受けた。大半のGKがセービングの受身などの基本技術が備わっておらず、フィードに関していえば各年代に1-2名は意識的なものを見せる選手もいたが、まだGK専門の指導者が育っていない背景が起因してか、単調に中央に蹴り出すだけのものが頻発していた。
また、そしてGKグローブが片手のみ、もしくは無使用というチームも少なくなかったことが、サッカーの普及度を如実に物語っていた。
運営面に関しても、準備期間が1ヶ月ほどしかなかったこともあり、審判員が不足したり、記録員が不在であったりするほか、観客と選手のエリア分けや警備まで意識が回らず、開会当初は保護者がスタンドからベンチに入ってくる一幕もあった。
これは良いのか悪いのか分からないが、運営補助を担当したチームの保護者が、主催者に無許可で公式プログラムの配布を引き換えに募金を始める、というハプニングも起きた。それはそれで会場が大いに盛り上がった。
全体的には問題を抱えつつも、概ねポジティブな空気がそこかしこに流れていた感がある。気温35℃にも届くような灼熱の会場のなか、スタンドの保護者からは一喜一憂の声が漏れれば、黒田氏は各ピッチを回り、誰彼ともなく挨拶に握手を差し出し、笑顔を振りまく。自然と黒田氏に人が集まり、氏の言葉に耳を傾ける。
黒田氏は日本サッカーの父・テッドマールクラマー氏を敬愛していると著書「トモニイコウ。」の中でも述べているが、この地ではさしずめ「台湾サッカーの父」といったところだろうか。
最も惹き込まれたのは、大会初日の終了後のミーティングであった。黒田氏が始めに評価する点と問題点を挙げたあと、各地域の指導者の熱心な議論が始まった。15分程度で終わる予定が1時間以上と大幅に延長された。その熱気は黒田氏が4年間にわたり地道に指導者を育てた証に映った。
>>台湾にサッカーを!高校サッカー界の名将とATHLETAの挑戦(3/3)に続く
(アジアサッカー研究所/田畑)