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2017年2月16日 | タイ

東南アジアナンバーワン選手、”タイのメッシ” チャナティップ獲得の舞台裏

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昨年12月、日本とタイのサッカー界の間で新展開があった。タイのトッププレーヤーであるチャナティップ・ソングラシンが、今年7月から1年半の契約でJリーグの北海道コンサドーレ札幌にレンタル移籍することが発表されたのだ。Jリーグが「アジア戦略」を掲げて以来、ベトナムやインドネシアなどからはすでにJリーガーが生まれているが、タイ人選手がJリーグクラブと契約を交わしたのはこれが初の事例となる。

「アジア戦略」の最重要国と位置付けられるタイからのJリーガー誕生は、Jリーグにとっても待望のことだった。東南アジアサッカー界のトップを走るタイには当然、好選手は多くいる。それにも関わらず、これまでタイ出身のJリーガーが生まれなかったのはなぜなのか。

タイからのJリーガー排出に尽力してきたJリーグ国際部の小山恵氏は、タイ人Jリーガーの誕生が難航した理由を次のように語る。

「Jリーグとしても、もともとタイは一番のターゲットとして見ていました。ただ、タイリーグは近年、トップ選手のサラリーがどんどん高くなっている状況があり、一方で日本でのタイ人選手の評価はまだそこまで高くない、というギャップがありました。チャナティップも2012年頃からリストアップしていた選手ですが、彼のサラリーも当時とは比べものにならないほど高額になっています」

国内リーグの急速な発展により、現在、タイではトップクラスの選手であれば数千万円の年俸も珍しくない。選手としての評価も金銭的な待遇も低調な海外のリーグに、わざわざリスクを犯してまで飛び込む必要のない環境がすでに国内に整ってしまっているわけだ。他の東南アジア諸国に先駆けたタイリーグの飛躍が、逆にタイ人Jリーガーの誕生を難しくさせている面があった。

そういった状況下で今回、ついにタイ人選手がJリーグでプレーすることになったのにはいくつかの背景がある。

まずは、東南アジア出身Jリーガーがもたらす効果が広く認知されてきたこと。東南アジアからの選手獲得に熱心なクラブの一つである水戸ホーリーホックは、ベトナム人選手の加入によってベトナム航空をスポンサーにつけることに成功。さらに、茨城空港にはベトナムからの直行便が飛ぶようになった。そういった目に見える成果が、Jクラブの東南アジアへの関心を少しずつ高めてきた。

また、Jリーグ側も各クラブが東南アジア出身の選手を獲得しやすい環境作りに努めてきた。今季からは東南アジア諸国をはじめJリーグが提携を結ぶ「提携国」の選手は外国人として扱わないという思い切ったルール改正も決行。これにより、タイ人選手も日本人と同じ扱いでJリーグの試合に出場できることになった。

そして、実際にチャナティップの獲得に踏み切った札幌の本気度も高かった。札幌はこれまでにもベトナムやインドネシア出身の選手を獲得した実績があり、とりわけアジア戦略に熱心なクラブの一つ。かねてからタイ人選手にも強い関心を持っており、チャナティップに関しても3年ほど前から徹底マークしてきたという。

札幌はクラブとして、タイ人選手の獲得に何を期待しているのか。一つはこれまでの東南アジア出身選手たちと同様に、クラブやホームタウンのプロモーション効果といった付加価値だ。そういった面について、チャナティップの獲得に力を注いできた札幌の三上大勝GM(ゼネラルマネージャー)は次のように語る。

「Jリーグ全体でアジア戦略を掲げているなかで、私たちとしても北海道や札幌市のシティープロモーションをサッカーを通してやっていきたい。タイ国内で人気のあるチャナティップが来ることによって、より多くのタイの方たちに北海道、札幌をもっともっと知ってもらうことになるんじゃないかと」

2013年7月にタイ人の日本入国に際するビザが免除されて以来、訪日タイ人観光客は凄まじい勢いで増え続けている。日本政府観光局によれば2016年に訪日したタイ人の総数は90万人を超え、今や中国、韓国、台湾、香港、アメリカに次ぐ世界6位の一大市場だ。7千万人近い人口を抱えるタイは昨今の経済成長により日本旅行が可能な中流層が急増、近年の訪日客数は東南アジア諸国の中でも群を抜く多さだ。そういった点も、タイが「アジア戦略」において重視される所以となっている。

また、チャナティップの移籍が噂され始めた頃からすでにJリーグにはタイから放送に関する問い合わせが寄せられており、現在、複数の放送局と交渉中だという。自国のスター選手が日本でプレーすることによって、タイにおけるJリーグへの関心度が一気に高まることも間違いないだろう。

だが一方で、「それだけではない」ところがこの移籍の肝ともいえる。チャナティップは日本とタイをつなぐ架け橋として期待されているだけでなく、純粋にチームの貴重な戦力として迎えられている点も見逃せない。何度も現地に足を運んでプレーをチェックしてきたという三上GMは、昨年も3試合を生で観戦。その結果、「レギュラークラスの戦力と確信」して獲得を決断した。

Jリーグ国際部の小山氏も、チャナティップの「能力」に大きな期待を寄せている。

「チャナティップは東南アジアナンバーワンの選手。初めてJリーグ、それもJ1でスタメンで活躍できる可能性のある東南アジアの選手です。彼に東南アジアとの架け橋になってもらい、もっといろいろな国の選手が来ることで、Jリーグが『アジアのプレミアリーグ』になっていければと。逆に、彼でダメなら他の誰が来てもダメだろうというくらいの選手ですから、リーグとしても彼にかけているところがあります」

実力の世界である以上、「付加価値」だけでは限界がある。日本人選手のヨーロッパへの移籍が本格化したのも、中田英寿が純粋に選手としての日本人の価値を証明してからだった。Jリーグの「アジア戦略」が次のステージに進むためには、東南アジア出身選手がそのプレーでJリーグに衝撃を与えることが不可欠だろう。「アジア戦略」の命運を背負って、今夏、東南アジアのベストプレーヤーが満を持してJリーグにやってくる。

※ 本稿は「ハーバービジネスオンライン」にも掲載しています


本多 辰成(ほんだ たつなり)
1979年、静岡県浜松市出身。出版社勤務後、日本語教師としてタイへ渡る。その後、タイをベースにフリーランスライターとして活動。サッカーをはじめとした東南アジアのスポーツを中心に取材、執筆を行っている。東南アジア情報サイトやサッカーメディアなどにタイを中心とした東南アジア関連の記事を寄稿している。