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2017年2月24日 | マレーシア
2020年の先進国入りを目指す長期計画「ビジョン2020」のもと、経済規模を拡大させてきたマレーシア。1人当たりのGDPは1万米ドルを超えており、ASEAN諸国の中ではシンガポールとブルネイに次ぐ豊かさを誇っている。しかし、堅調な成長を続けてきた経済とは裏腹に、サッカー界においては長らく停滞傾向にある。
1972年のミュンヘン五輪に出場するなど、かつてはアジアにおけるサッカー強国の1つに数えられたが、近年のワールドカップ・アジア予選では、小国同士が争う1次予選を突破するのがやっとという状態で、東南アジア王者を決める昨年末のスズキカップでも屈辱のグループステージ敗退となった。
そんな停滞の続くマレーシアサッカー界にあって、近年目覚ましい躍進を遂げているクラブが「ジョホール・ダルル・タクジム(JDT)」だ。
2014年から国内1部リーグ「マレーシア・スーパーリーグ(MSL)」で3連覇中なのに加えて、2015年にはAFCチャンピオンズリ-グ(ACL)の出場権を持たない国や地域の代表クラブによって争われるAFCカップでマレーシア勢初の優勝を飾った。いまやマレーシアを代表する強豪クラブとなったJDTだが、その実質的な歴史が始まったのは、わずか4年前に過ぎない。
2015年シーズンにマレーシア勢として初めてAFCカップで優勝したジョホール・ダルル・タクジム(JDT)(写真提供:Johor Darul Ta’zim FC)
派手なビッグネーム獲得も長期計画の一部
JDTの前身である「ジョホールFA」は、1991年に1部リーグで優勝するなど90年代初めまでは強豪チームの一角を占めていたが、その後は2部との昇降格を繰り返すエレベーターチームになっていた。そんな弱小チームに転機が訪れたのは2012年2月、ジョーホール州の王族トゥンク・イスマイル皇太子がジョーホール州サッカー協会の会長に就任したことだった。
イスマイル皇太子は会長に就任するとすぐにジョホールサッカーの大改革に乗り出した。当時ジョホール州内には、ジョホールFAのほかにプロやアマチュアを含めた複数のチームが活動していたが、これらをすべて統一して、新たに「ジョホール・ダルル・タクジム・フットボールクラブ」を結成することを発表。さらに大物外国人選手の獲得に乗り出し、2013年にリーガ・エスパニョールで得点王に輝いたこともある元スペイン代表FWダニ・グイサを、さらに翌年には元アルゼンチン代表MFパブロ・アイマールを獲得して、国内外のサッカーファンを驚かせた。
金満オーナーの札束攻勢で大物選手を獲得するのは、サッカー界では度々見かける光景だが、JDTの選手獲得は長期的な戦略に基づいたものだと、同クラブのスポーツディレクターであるアリスター・エドワーズ氏は説明する。
「グイサやアイマールといったビッグネームの獲得は、『ジョホールのサッカーが変わった』というインパクトを世間に与えるために必要なステップでした。ただ、それはあくまでも最初のステップ。現在はピッチ上での結果でインパクトを与えることができるので、大金を支払って有名選手を連れてくる必要はなくなっています」
エドワーズ氏の発言を裏付けるように、JDTに現在所属する外国人選手の中で世界的に名前が知られた選手はいないが、2016年シーズンの得点ランキングで1位、2位を独占したアルゼンチン人FWホルヘ・ペレイラ・メンデス、フアン・マルティン・ルセロなどの実力者が揃っており、コストパフォーマンスに優れた的確な選手獲得といえる。
ワールドクラスのインフラを整備
現在JDTが推し進めている計画の中で目を引くのが、大規模なクラブのインフラ整備だ。2016年初頭にはトップチームの練習の拠点となるトレーニング施設がオープン。フルコートサイズの人工芝ピッチを備えた屋根付きの全天候型練習場を中心に、天然芝ピッチ2面や最新鋭のトレーニング施設やプール、アイスバスを備えたジムなど、ヨーロッパのトップクラブと比較しても引けを取らない豪華さで、視察に訪れたJリーグクラブのスタッフも感嘆の声を上げたという。
最新鋭の設備を備えた新スタジアムは2018年の完成を予定(写真提供:Johor Darul Ta’zim FC)
クラブの新たな家となる新ホームスタジアムの建設も発表されている。現在使用されている「ラーキンスタジアム」は、日本代表が初めてワールドカップ出場を決めた「ジョホールの歓喜」の舞台として日本のサッカーファンにも馴染みが深い。
数年前に大規模な改修を経て全席個別シートのスタジアムに生まれ変わったばかりだが、新たに4万5000人収容のサッカー専用スタジアムの建設が進められている。建設費2億リンギット(約60億円)といわれるスタジアムの周辺には、各種スポーツ施設やホテル、ショッピングモールなどの建設も計画中で、「スポーツシティ」と呼ばれる複合型施設として開発される予定だ。2018年シーズンの開幕を新スタジアムで迎えるべく、現在急ピッチで建設が進められている。
不動産をはじめとする多くの資産を保有しているジョホール州王室は、マレーシア国内屈指の資産家一族として知られているが、巨額の費用を必要とするJDTのインフラ整備は、イスマイル皇太子ら王族のポケットマネーによって賄われているわけではないとエドワーズ氏は指摘する。
「ジョホール州では『イスカンダル計画』と呼ばれる国家規模の開発計画が進められており、マレーシアの国内企業だけでなく、中国をはじめとする外資系業者も乗り出してきています。こうした企業の開発への参加が認可される条件の1つとして、ジョホールの人々に貢献する施設などへの投資が求められています。サッカースタジアムやアカデミー、屋内練習場などもその一環として、開発業者から建設資金を得ているのです」
クラブ運営にあたっても、スポンサーからの収入などクラブの自前の資金で持続的なビジネスモデルを作ることが目指されているという。イスマイル皇太子は現在JDTのオーナーとしてクラブの全権を掌握しているが、これはクラブが選手獲得やインフラ整備に使える白紙小切手を持っていることを意味するものではなく、あくまでも地に足を付けた形でクラブが成長することが目標となっている。
クラブが保有するピッチすべてを管理するのは日本人のベテラン職人
マレーシア国内だけでなく東南アジア全体で見ても屈指の設備を保有しているJTDだが、その維持・管理にはひとりの日本人が大きく関わっている。白いハンチング帽がトレードマークの廣井功一さんは、マレーシアのサッカー界で広くその名を知られる芝管理のスペシャリスト。イスマイル皇太子からも絶大な信頼を受けており、JDTが保有するスタジアムや練習場の天然芝のすべてを管理している。
JDTのグラウンキーパーを務める廣井功一さん
1964年の東京オリンピックの際に都内の高級ホテルに勤務していた廣井さんは、世界中から訪れた人々との交流の楽しさに心惹かれて、海外で仕事をすることを決意。その後、イランやドイツ、インドネシアなどでホテルやゴルフ場の経営に携わり、海外生活はすでに半世紀に及ぶ。
20年前にジョホールバルで芝の販売管理を行う会社を立ち上げたが、メインの業務はゴルフコースの管理でサッカーとは無関係だった。しかし、2004年にマレーシアで開催されたAFC U-19選手権の際に、試合会場の芝管理を委託されたことをきっかけにグラウンドキーパーも手掛けるようになり、さらにジョホール王室が所有するポロ・グラウンドの管理をしていたことから、イスマイル皇太子の知遇を得てJDTの芝管理を一手に引き受けることになった。
廣井さんが管理するラーキン・スタジアムのピッチコンディションは、マレーシア随一という高い評価を受けており、現在ではクアラルンプール郊外にあるナショナルスタジアムのメンテナンスも委託されているだけではなく、隣国シンガポールからも新設されたナショナルスタジアムの芝管理について相談を受けたことがあるという。
さらに来年オープン予定のJDTの新スタジアムのピッチも、もちろん廣井さんが手掛けることが予定されている。東南アジア屈指のサッカー専用スタジアムにジャパンクオリティの美しいピッチが生え揃ったとき、JDTはまた一段高いステージにのぼることになるだろう。
※ 本稿は「ハーバービジネスオンライン」にも掲載しています
安藤 浩久(あんどう ひろひさ)
1974年、愛知県豊橋市出身。会社員勤務後、アジア・欧州を2年間放浪。世界各地でサッカーを観戦して、その多様性と奥深さに触れる。その後、豪州ディーキン大学大学院でスポーツ経営学を修め、シンガポールの日系情報誌で編集長として勤務。現在はシンガポールをベースに、翻訳やライターの傍ら、アジアサッカー研究所の一員としても活動中。