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2018年3月18日 | インド
インタビューに答えてくれる和泉選手
2006年、コルカタにあるインドサッカーの名門イースト・ベンガルから和泉選手のインドサッカーキャリアは始まった。決してプロフェッショナルとは言えない環境、インドの食事や生活習慣にも慣れない中、高いパフォーマンスを期待され続けた。もちろん彼の知人の中でもインドサッカーの知名度は低く、「インドにサッカーチームがあるの?」と言う人も多くいた。そんな中、和泉選手はプロサッカー選手の道を諦められず、インドに希望の光を求めた。まだ若く英語もまだ流暢ではなかった和泉選手は契約書も読まずにサインしてしまうほど、自信にも満ち溢れていた。
その後は、マヒンドラ・ユナイテッドFCを経て、プネFCで6年間プレーをした。その頃にはIリーグが始まり、ようやくプロフェッショナルな環境でプレーできるようになっていた。インド代表にも選出され、順風満帆のように見えたが、監督が変わってからは代表に呼ばれることはなかった。テレビでの放映も毎試合ではなく、放映されない試合も多くあった。そんな環境の中でも高いパフォーマンスを維持し、結果を残し続けた。もちろん努力を続けた結果だが、「いつも目の前のことに真摯に向き合ってきた結果」と語ってくれた。
プネFC時代の和泉選手
「2014年からインドスーパーリーグ(ISL)が始まり、さらにプロフェショナルな環境がインドには整ってきた。選手たちは、今までよりもプロフェッショナルなプレーを求められるため、多くのプレーヤーが自信と落ち着きを持ってプレーするようになった。」
世界中から集まる有名選手と一緒にプレーすることによって生まれた大きな変化の一つだ。今までにデルピエロ、ロベルト・カルロス、マテラッツィ、ジーコ、ロビー・キーンなどがインドサッカーに選手や指導者として関わってきた。
「ひとつのプレーで局面を大きく変化させるパス、サッカーのリズムを変化させるドリブル、大切な場面で決める技術。それらを近くで感じることができるインド人選手達は次々に頭角を現してきている。」
今後の課題は指導者の向上である。和泉選手自身も指導者のライセンスを所有しているが、今ISLの高いレベルでプレーしている選手たちが指導者になれば今後のインドサッカーは爆発的に伸びるだろう。
元マンチェスターUのウェズ・ブラウンと和泉選手
「これからは日本側からもっとアプローチをしてほしい」
インドサッカー界はヨーロッパばかり見ていて、日本のプレゼンスは非常に低い。BARやレストランでは連日プレミアリーグやラ・リーガが放送されている。PSGやアーセナルのサッカークリニックはインドでも人気で大勢の子供達がヨーロッパブランドでサッカーを始めている。
「インドに来ている日本人選手たちが及ぼす影響力はもう限界にきている」
数少ない日本人選手がインドでプレーしている。数が少ないので彼らはとても有名である。和泉選手もその一人だ。インスタグラムでは5万人以上のフォロワーを持ち、人気選手の一人である。しかし、個人でできることには限りがあり、もっと日本のプレゼンスを高めるには日本側からの積極的なアピールが必要だ。さらに、インドは人口13億人。これからサッカー人口も増加する。この市場を現在日本は遠くから見ているだけである。日本の人口や経済は下がる一方で、インドは伸びる一方だ。サッカー人口が爆発的に増える中、いい選手も育ってきている。日本のクラブや企業にとっては大きなチャンスであり、インドでクラブチームを持ったりアカデミーを開校したりすることができれば今後日本のプレゼンスは高まるだろう。他にも積極的に視察をし、インドのいい選手を日本でプレーしてもらうことが、さらなるビジネスチャンスにも繋がる。
ISLプネ・シティFC時代の和泉選手
木米 貴久(きよね たかひさ)
アジアサッカー研究所インド担当。アジアサッカーキング、サッカー批評などでインドサッカー記事を掲載。日印文化交流年60周年記念事業「アビスパ福岡U-18 VS ベンガルールFCU-18」では実行委員長を務め、サッカーを通じてインドと日本の交流を促進している。